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  • ただ生きているだけで何も目標がない、見つからない
  • 人生つまらない
  • 詰んだ
  • 人生はゲームだ

人生を考える上では、人は生き方を模索する。

これまでにも生き方については、以下のような記事を書いてきました。

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自分を認める思考

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自分を認めるのが怖い人へ|その人らしくいきるために必要な思考

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人生後悔ランキングから学ぶ!今を自分らしく生きるために

書店やインターネットで検索しながら、名言や偉人の言葉などを見つける人も多くなりました。

一方で、最近は個性とか価値観の違いという考え方から、自分らしい生き方という視点にも注目が集まっています。

今を生きるという言葉もありますが、果たして自分の中で公開しない生き方にするには何が必要なのか?

反対にどんな生き方をしていると失敗や後悔をするのか?

探し方や自分の中で見直すべきポイントをご紹介していきます。


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人生の目的をスピリチュアルから探す

 

スピリチュアルとは、キリスト教用語です。

日本語にすれば、霊性という意味になります。

魂や霊、精神といった類における考え方。

聖書から学ぶこと

私自身も小学生の頃に旧約聖書、新約聖書を読んでいました。

別にキリスト教信者でもありませんが、世界にはいろいろな宗教的な教えや信仰があります。

その中で、どういう信念をもって生きているのかを知りたくなったのです。

その中でも印象的だったのは、以下のような言葉。

  • 病まなければ聞こえないみことばがある

  • 病まなければ私は人間ですらもありえない

つまりは、病むことから学びや気付きが得られるが、病まない道ばかりを探すとそれはもはや人間ですらありえないということ。

人は悩み、苦しみながら成長していく。

だとしたら、病むことから目を背けてはいけない。

 

人生の目的を偉人から探す

 

人生とは何か?

こんなことを考えたら、思想哲学や宗教だけでなく、偉人たちの言葉が気になるという人も多いはず。

私が好きな作家のひとりであるシェイクスピアは以下のような言葉を残している。

険しい丘に登るためには、最初にゆっくり歩くことが必要である。

 

結局は、目標や目的があったとしても地道に歩むことが大事。

これって、すぐに楽になりたいと思う時にこそ、冷静になれる日事ことだった気がする。

慢心は人間の最大の敵だ

これもわかりやすい。

優位に立った時ほど人はどこかで隙ができる。

慢心は過信と似ている。

自信がある事は大事だけど、結局人は臆病であり、不安を常に持つくらいのほうが一定の緊張感があってちょうど良いのかもしれない。

今晩一晩は我慢しなさい、そうすれば、この次はこらえるのが楽になる

これも最初の地道な一歩と同じ。

ストレスを感じやすいコロナ禍での日常生活。

不安で夜も眠れない日が続くような時、その自分とどう向き合うのか?

最初は苦痛に感じていたこともいつしか慣れてくる。

一番最初が本当に大変と思っていることは、ほとんどが早退したことではないという事を意識する上ではとても役に立つ。

 

人生の目的は結婚だと思っていると失敗する

 

私は妻と日常的にこんな話をしている。

女性は子どもを出産すると、つい女性であることよりも母親であることを意識する。

もちろん、これは家庭を守る上ではとても大切なこと。

でも家族のために生きることを意識してはいけない。

結婚しなければ、ずっと独身で自由だったのにと思っても次には孤独や老後の不安を抱える。

結局人は、家庭を築いても一人で生きていても自分の幸福よりも他人の生き方を見て自分にない生き方をうらやましいと思っている。

結局は、自分の人生で結婚とは何かをもう一度考えてみてほしい。

結婚は人生の墓場だと男たちは言う。

その背景には、自由を失うことや女性を自由に選べない等男の欲望や願望を満たせないことに対する不満。

でもこれも結局、同じ事。

定年退職するまでの毎日の生活の中で、家に自分の好きな異性が待っていることに幸せを感じないのはなぜなのか?

これは相手に対して、自分が満たしてあげたいと思える感情が欠落しているから。

目の前にいる存在を大事に愛おしく感じる自分を取り戻す。

たったこれだけで、人生の終わりどころか10年、20年、30年経っても幸せな人生だったと言えるはず。

 

人生の目的は自分らしい生き方探し

 

私はよく自分の人生をこんな風に考えている。

死ぬまで勉強なのだ

自分の人生でどんな学校を卒業して就職してどういう社会に身を置くのかは人によって異なる。

でもあなたの人生の主人公はあくまであなた自身。

だとしたら、この人生とはあくまでゲームなのだと思う。

選択の自由がある。

でも選択でミスをすることもある。

その経験を活かして、次は同じ過ちを繰り返さないように行動する。

これは、転職や離職、離婚や再婚、借金や自己破産等、詐欺被害や募金など、人、モノ、お金、時間すべてに関係する。

こうした自分の生きていく中での苦労から何を学び、そして次に生かすのか?

この繰り返しの中で何を得るのかが楽しい。

男女の違いも本当は存在しない

男も女も結局のところは関係ないのだと私は感じている。

子どもを欲しいとか産みたいと思うのは女性特有なのか?

子どもが欲しいと願う男性もいる。

でも離婚して、お互いに別の人生を歩むほうが幸せと考える家庭もある。

これって、結局最後には自分の人生において、誰と関わって生きていくのかを自分で選んでいるだけ。

別に結婚をきっかけに人生が変わるという事ではない。

本質的には自分がどうしたいのか?

この答えを結婚のせいにしているだけではないでしょうか?

最後には自分の人生が幸せだったと言える人は、必ず人を大事にしている。

この気持ちがない仮面夫婦や子どものためという体裁や世間体ばかりを気にした結婚生活では幸せはない。

自分が誰かのために必死になることに楽しみややりがい、生きがいを感じられたら、結婚生活はとても幸せな時間になる。

たったこれだけのことだと私は考えています。

 

生きる目的が見つからない人へ

 

別に生きる目的が必要なのかと言われたら、別になくても今を生きることはできる。

  • 朝になれば起きる
  • 生理的にトイレや食事、睡眠などは行っていく
  • 歩くことも走る事も必要に応じて反応する

一日を過ごす中でも人は別に旅行や買い物などをしなくても生きるために自然に行動をすることはたくさんある。

今年こそとか来年こそはは無意味

  • いつまでに結婚する
  • 年内に彼氏彼女を作る
  • 早く出世する

年の瀬にもなれば、多くの人は、自分の今年1年を振り返りながら次の年の目標を考える。

でもこの気持ちって、3ヶ月も続かないという人は多いのではないでしょうか?

そんなゴールを設定していても結局は日常に追われて最後には何を意識していたのかすら忘れてしまう。

でも別にそれは、生きていく上ではすごいリスクになっているわけでもない。

まずは自分が今日1日を生き抜いたことに満足すればいい。

何もしない日があってもその日はゆっくり休んだとすればよい。

いろいろ出かけて疲れただけという日なら、そういう行動から学ぶべきことを見つければいい。

結局は、人は結果から何か気付いて、そこから何かを学ぶ。

この答えが、次同じ局面に遭遇した時の対策や準備になっていく。

だから、人は今を生きていれば、そこで生まれた不満や愚痴が次の生き方につながっていく。

本当に怖いのは、何を経験しても何も心が動かないことだと私は伝えたい。

やりたいことがあればよいのか?

最近、若い人たちからも年配の方からもこんな言葉が聞こえてくる。

  • 何も欲しいと思うことがない
  • やりたいこともない
  • ほしいものもない
  • 別に目標なんてない

こういう時、何のために生きているのか?という質問を口にする人は多い。

でもやりたいことがなければいけないのか?

この答えも私はこう伝えている。

「別に目の前のことをこなしているだけでも人生は時間が過ぎていく」

複数を同時に片付けることができても出来なくてもその人にとっての1日は自然と終わっていく。

正直欲望や願望が存在しなくても人生は後悔しない。

むしろ、目標や夢がある人のほうがそのゴールにたどり着くことができなかったことで、挫折や劣等感、自己否定をする可能性がある。

あなたにとって、自分の人生が生きていて良かったと思えるようになるには、最後には自分がこれで良しと言えるかどうかだけである。

生きる目的や目標はなくても良い

何のために生きているのかわからない。

この言葉が主婦の中で広がっている。

自分が結婚したいと願い、結婚式や新婚旅行に行って、その後妊娠、出産を経験。

この楽しみを経験してから数年経過したら、一気に自分が社会から疎外された一人みたいなことを言い出す。

これはそもそも何か間違っている気がする。

自分が何のために生きているのかを考えるよりも、誰に必要とされているのかを考えてみる。

  • 子どもにとってはかけがえのない親である
  • 親からすれば、自分の可愛い息子や娘である
  • 親族からすれば、大事な孫や親戚である

こういう見方をしていけば、結局最後には自分を知る人がその存在を認識しているに過ぎない。

別にその人がどんな道を選んだとしても直接自分の人生に大きな影響を与えることは少ない。

生きることはすなわち、自分の満足感と不満のバランスをどう考えるか次第で幸福度が変わるのだと思う。

別に他人と比較する必要もないし、統計等から平均以下であったとしてもその事を気にしなければいけないわけでもない。

むしろ、自分の中でその結果に対して満足できればそれは一つの幸せのカタチだと思う。

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