今の会社の仕事が原因でこれまでにない自分になってしまう気がする。
こんな悩みを持つ人の原因に人間関係という人が増えた。
仕事を辞める理由の中で近年男性女性を問わずランキングに定着しているのが人間関係の精神的なストレスを原因としている現代社会。
正社員、パート、アルバイト、派遣社員、契約社員なんて立場は関係ない。
人間関係を原因で辞めたいと悩む人の誰もが今いる職場の中で何か人に関する悩みを抱えている。
もうこんな職場で毎日自分を偽って生きているのが辛いと思っている人も多いはず。
最終的には辞める人には上司も同僚も部下も問わず誰もが見て見ぬふりを貫く。
こんな状況が社会人の人生なら正直会社で働きたくないと考える人が多いのも頷ける。
こんなストレスを抱えさせる職場にいる上司はいったいどんな気持ちなのか?
近くで見ていたからこそわかる思っている本音はこんな言葉。
「所詮辞めていく人間は辞める。」
「使える時だけ動けばいいし、変わりはいくらでもいる」
まるで使い捨て。
もう人間を相手に相手にしているという感情はどこにもない。
気にしているのは、自分の立場と収入と評価だけ。
こんな人の評価を上げるために私たちは仕事をしているわけではない。
これまでにも仕事を辞めたい原因を人間関係としている人に多い悩みをご紹介してきました。
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もうどこの職場にいっても結局は同じなのか?
自分の心がボロボロになって何も感じる事が出来なくなってしまった。
こんな気持ちになりながら、家族にも悪いと思って言えないまま黙って自分の中でため込んでいる人も多い。
この結果は転職する事にも人生そのものにも悪い影響を考えなければいけない状態になっていくリスクさえある。
だからこそ、私ができることはせめてこの人たちに自分が悪いことをしていないなら、きちんともう割り切って次を考える事への道しるべ。
私のサイトは、40代男性女性が自分の個性を活かし、自分らしく生きるための考え方を伝え続けています。
20代新卒から30代、アラフォー、40代となっても結局はどの人も同じようなことを悩みとして言っている気がする。
仕事、年収、貯金、恋愛、結婚、離婚、ファッション、プレゼント。
結局は、自分が人間らしく生きていくためにはお金が必要。
でもその会社に勤めるという先に毎回上司に恵まれない。
社内の一部の部署の問題に企業は見向きもしない。
こんな放置してやりたい放題になって社会問題になるまで放置しているのも現実。
だったら、きちんと法的にも責任を取らせる方法をきちんと知ることも労働者が自分を守るために必要な時代なのではないでしょうか?
今回の記事では、仕事を辞めたい時人間不信にまで陥った経験から、以下の項目で伝えたい事をご紹介しています。
仕事辞めたい時人間不信になった体験記
仕事辞めたい時人間不信になる怖さ
仕事辞める前人間不信になるよりも
あなたの心が完全に閉ざされてしまう前に私が少しでも今思っている事を含めて辞めるならそれ相応の現実を世の中に公開する。
これがあなたが今の気持ちを落ち着かせるためにも必要な事だと言いたい。
仕事辞めたい時人間不信になった体験記
私は自分のストレスの原因がたった1人の身勝手極まりない心の持ち主のせいで人生がボロボロになったとよく周りの人間からも同調されている。
あまりにも理不尽極まりない発言の数々。
他人への感謝なんて何も感じない人。
単純にもう人の気持ちなんて持っていないと言えば早いのかもしれない。
そのくらいのごますりしていないと付き合えないような人が上司だった。
陰湿なパワハラを平気で行う日常生活
妬み
ひがみ
上司なのに、部下にボーナスが出るだけでひがみを口にする。
たったこれだけでもありえないし、人間として気持ち悪いと思ってしまっていた。
でも上司だから決して口に出して言えないというもどかしさ。
その言葉が頭から離れないことでストレスになって、私は在籍中に以下のような疾患になった。
ヘルニア
メニエール病
正直、もうほとんどまともに歩けないような状態でもその人の言うのは、自分の利益の為に働けという話。
誰か周りに変わりなんて頼もうなんてことも考える隙も与えない。
ひがみ、妬みしか言う事がない人が、人がストレスでボロボロになった時にさえ配慮もしない。
この状況を誰かが見てもとてもたいせつにしてやっているなんて言葉が当てはまる行動とは少し違うと言う。
あまりにも個人的感情をむき出しにする行動にとてもやってられないし、信じようとか信頼されていると思った自分が情けない感じになった。
信じているとか信頼しているは嘘
結局は、社内の狭い職場の中での関係で、個人に対して、誰かに信じてるとか大切にしているとか期待しているという言葉は受け取った瞬間は嬉しい。
しかし、こう言ってる人ほど信用してはいけない相手。
相手を信じさせるための方法として計算の上でやっていることだけ。
その言葉に心も気持ちもどこにもない。
この認識をいかに純粋に持っていられる状態が続いているのかどうかが私は職場の人間関係に耐えられるのかに関わってくると思ってしまった。
誰かの言葉に惑わされない状態。
こんな事を言えば、元も子もないかもしれないが、結果的にはそれが私が感じた答えになった。
「会社という組織の中にいる人は、誰も他人を助けるとか相談にのる気なんて微塵もない」
まさにある意味、人間不信の塊のような発言かもしれない。
しかし、これが現実だと思う。
その対象がこんなことはほとんどない現実が教えてくれた。
いかに入社以来親しくしてくれていたとこちらが感じていた人もその人が辞めるから自分も辞めますとは言わない。
この行動が毎日辛い目にあう自分たちに同調して次の被害者になる可能性があることも考えられるはずでもその問題よりも自分の収入を先にする行動。
結果的に、誰もが誰かが何か問題をおこしてもその相手のフォローはもちろん、いかに早く克服できるかなんてことまで面倒を見ようとしない。
これは、同じ社内の問題であれば、ある意味助け合うという事ではないのか?
それをこう表現する。
「なぜこんなミスをする?」
「わけわからない」
「本当にやる気あるの?」
やる気がないわけがない。
誰もが別にミスをしたくてしている人はいない。
それを部下に対してのタイプの分析以前に不安をあおる時間しか用意ができない。
こんな現場を見てしまうと、正直何のために会社に利益を出しているのか分からなくなっていく。
これが私の体験だ。
仕事辞めたい時人間不信になる怖さ
誰も理解してくれない。
何処にも自分の居場所がない。
きっと自分なんて存在してはいけないのではないか?
人間にはいろいろなタイプの人がいる。
私とあなたも当然違うだろう。
私が当たり前のように出来る情報があなたにとってはすごいと思ってくれることもあるかもしれない。
でもそんなあなたにも私にはない良さを持つ状況が必ず存在する。
でもその自分の特徴なんてもうすべてがどうでもよい情報になってしまう。
自分が嫌になる事が最大の恐怖
あなたにはこんな経験がありませんか?
- 今日も誰かがどこかで自分の悪口を言っているかもしれない。
- 休憩時間で同じ場所にいる人の会話でさえ陰口をささやいているように感じる。
- もう目を合わせるのも嫌になる。
このように、徐々に自分の状況を問わず他人の態度や行動すべてが不安を抱える原因になっていく。
こうなると、やはり人間は私生活の活動そのものに影響を与える可能性さえ出てくる。
次のような場所が一番わかりやすいのかもしれない。
- どこかの婚活や恋活などの初対面の人と会う場所に行く時。
- プライベートでどこかに買い物などに行き、楽しみたい時の活動のワンシーン。
- 恋人と過ごす時間の中で裏切らないという確信が揺らぐ。
こうした時のどこかから聞こえる内容全てが怖いみたいな気持ちになっていく。
一度でも自分自身が耳にした言葉も自分が口にした内容ももう日々の生活の中でずっと耳に残る日々。
こんなことになったら、世の中なんでも全ての生活の中で普通に出来ることすら、怖くてなにも出来なくなっていく。
結果的に自分の存在そのものが最初から不要ではなかったのかとさえ感じるようになってしまう。
強い死への憧れはもう限界値
私がもう陥るところまで来たと思った瞬間があった。
それは、家族もあって、子供もいる生活の日々なのに、なんにもない時にも日々常に死への憧れを強くイメージし続ける状態になった瞬間だ。
どんな形が楽にいける?
社会への不信感はもうどうでもいいし疲れた。
なんにも考えたくない。
誰にも関わりたくない。
みたいな気持ちが全ての自分の日々の中に入り込む。
食事の味がしなくなってきたこともあった。
味覚障害まできたらあなたはもう勤め先なんて問題の前に自分を守るべきタイミングだと警笛を鳴らしたい。
仕事辞める前人間不信になるよりも
私は実際に一人になる時間を増やして、妻にもしばらくはそっとしておいてほしいと伝えた時間があった。
もう人間に関わることそのものが誰であっても苦しい。
今ある人間関係もすべてリセットして消えてしまいたい。
こんな状態になった時、私を人として戻してくれたのは妻だった。
何も考えないのはあなたには無理!
ある意味、人生の中で常に何かを多角度な視点から観察するのが私は好きな人間だった。
それは妻と付き合っている時にもずっと続けていた。
妻はそんな私の思考や思いつく内容が面白いと言ってくれていた。
その私が実際人の観察も辞めて、自分自身の存在そのものを消す事も考えた。
その状況に、その環境こそがあなたにとってあなたの個性の真逆の行動である事であることを教えてくれた。
つまり、客観的に自分の人生をよく知る人の声こそが唯一の救いだと私は感じた。
それは、親でも知人でも恋人でも妻でも誰でもいい。
とにかく自分を本当の意味でずっと必要としてくれていた人。
どんな人でも死んだときに誰かが泣いてくれるとか悲しいと思ってくれることは幸せなこと。
その対象になる人がいるなら、その人に自分がいったいどんな人間なのかをもう一度聞いてみる。
これがとても勇気になったり、生きる価値になったりする。
もしあなたが今ずっと何かの殻に閉じこもりそうになっていたらぜひ試してみてください。